何を思い出すのかといえば、昨日の晩・・・正しくは今朝。
寝苦しい環境だったので、クーラーの効いた部屋で娘たちを寝かせていましたとさ。
で、おいらは暑い部屋で扇風機を独り占めし、お仕事・・・そりゃもう、夜中の仕事っすよね。
で、クーラーは効き過ぎてやしないかと、部屋に様子を見に行ったところ、長女の目の周りが赤黒い・・・・
「うわぁぁぁぁぁぁ、血のりだぁぁぁぁ」
目の周りに、如何にも出血して乾いたからねって感じの後があり、あわててタオルを絞って本人たたき起こし、拭いてみる・・・・
んでもって、眼球チェック!異常は見当たらない、でも、傷口のない・・・・どこだ、どこに出血の原因が?
それは今もって、わかんないんですけどね、とりあえず、本人曰く「痛かゆい」で、腫れもなく、様子見状態。
なぜって、今日は日曜日。大量出血で大事なら救急車騒ぎだけど、そうでもないみたい。
とりあえず、ワークかまして、状態を見ていると、ふと自分の昔を思い出したんですよ。
当時、中学を卒業して、そのまま就職こいてしまった私は18くらいでしょうか。
15で卒業して、父親の会社であった皮加工業者にお勤め、その後、アニメーターの学校に1年行き、
就職しましたところ、後天性のアトピーになってたんですね。
そのころ、心霊的な面は最高潮で、どっかおかしな奴と化していたおいらは、相当神経に来ていたのでしょう。
「円形脱毛症」
これは、とりあえず乙女な時期のおいらにもきつかった。しかも、アトピーは顔半分をおおい、見事なほどの膿を出していたので、怪奇スプラッタ状態。
それも含めて、神経にきたのでしょうが、500円玉ほどもある禿が出来たわけです。
(今は、違う意味で禿が出来ましてね・・・・え?結婚後の実家との問題だなんて口が避けても言えません
書けますけど)
で、あまりにひどかったので、親父が知人の縁を頼って、大手の大学病院へ連れて行ってくれたんですね。
そこでであった看護婦さんはものすごくよい方でした。
一応、女性であったおいらに、ねぎらいの言葉をかけてくれました。それは、慰めではなく、ねぎらいだったんですよ。
「頑張ってここまで来たんだね~、よく我慢してたね。早くよくなるようにお手伝いしますからね^^」と。
そういえば、今のおいらが鑑定で、様々苦労して不安と戦っている人、どんな問題でもその人にはものすごい苦労ですよね。
だって、誰もその人にはなれないんだから、その人の苦労を軽いなどと言ってはいけないわけ。
そんな方に「頑張ったね・頑張らなくていいからね、マイペースだよ」を言うようになったのは、その看護婦さんの影響だったのかもしれません。
結構周りに言われてたんですよ。アトピーなんか病気じゃない、精神的に弱い奴か、親の育て方が悪いんだ・・・などと、その当時は言われましたんでね。
で、ステロイドで抑えてもいいけど、残るから、できるだけ清潔にして、水をよく飲んで(これは効きましたね~すっかり完治、とはいえない状態なのですが、夏になると出ますし)毒気が多いから、トイレにはこまめにね・・・・と、指導してもらい、テレビに出られるまで復活したんですよ。
ほんッと、ひどかったんですよ。アニメーター仲間が、話をする時に目をそらすんですから。
でもね、彼女等彼らは一生懸命、こっちを見ていてくれてました。でも、それでも目線をはずしてしまうほど
いわゆるスプラッタだったんですよ。
で、親父が主治医になってくださった方に、聞いた台詞を未だに覚えています。
「先生、実は私が子供の頃にも円形脱毛症を経験しまして。戦後でしたから食事もあまりよくなく。いや、私は兄弟姉妹が多かったので、それでも食べるには困りませんでしたが。そのときに、牛の臓器少々を腰に埋めましてね。当時は円形脱毛症はそれで治すと言われていたので・・・で、こういったものは遺伝するのでしょうか」
その頃のおいらは反抗期でもなかったのですが、苦労していた母親を見てたので、親父・・・好きじゃなかったんですよね。
それに、「自分に責任あるかないかの確認だろうし・・・」みたいに考えちゃってて^^;;;
結局、遺伝なんて事はなくて、ストレス性のアトピー(これが後々に、白内障へと移り変わる・・・)だったそうで。
でも、親父・・・それなりに、心配しててくれたんでしょうね。
もしかしたら、自分がそうして育って、身体に他のものが入っているから、遺伝したのかとか・・・・(親父、牛人間か??で、おいらサイボーグ^^;;;いやぁぁぁ)
ふと、親父を思い出した怪事件でした。