薔薇と魔法と言魂と~トゥリニセッテ

占い師・マーヤラジャが贈る、不思議と心・自由のブログ

2008年10月

さて、昨日の晩に、「明日学校に顔だけ出すかな・・・」などと言っていた次女ですが、

案の定というか、ヤッパなというか、今朝方、行きませんでした。


そう簡単に、自分の方向性を変えられたら、人間苦労は無いわけです。


しかし、そうやって一つでも、違った方向性を考える事が出来る、その事実が凄く大切なわけで、

今後の彼女の成長が楽しみです。


将来のことを考えると、とても心配で、無理強いしてもいいから行かせるべきなのでは?とか、

あなたの教育は間違っている・・とか、まあ、いわれることもないわけじゃないんですよ。


でもね、どの教育が合っているの?正しいの?って無いと思うんだよね。


むしろ、それがいえるのならば、子供は笑っていますか?


そのことが大事なんだと思うわけです。

子供が、笑顔で「お母さん」って呼んでくれる・・そこが大事な教育なんじゃないのかな。


命を粗末にする事は、ダメ。これは学校で習うことじゃないよね?

人の心を大事にすること。これも学校で習うことではないですね。


その子供が、笑顔で生活をして、毎日をしっかり生きて、どんな方法でもいいから、基礎的な学びがあること

それが、教育の基礎なんじゃないのかなァ。


そんな日々の積み重ね中です。


毎週・・・半分いやいやながら学校に行っていた次女ですが、この2・3週間で、ちょっとした変化が来ています。

学校に行くことを、本の少し楽しみになっていたようです。

クラスに戻ると言うことは、難しく本人はそれを良しとしていませんが、それでも学校でクラスメイトに
本の少し合うことに、負担がなくなってきているようなんですね。

で、今日もあれこれありながらも、学校に行ったわけですが、いつもよりもしっかりと目を覚まし、
学校のしたく(といっても勉強道具ではありません、カウンセラーの先生と話しを愉しくするための道具でしょうか)を
整え、いつも電話が来て、行く時間を決めるのですが、今日は電話を楽しみに待っていました。

その間、自分に負けたようだとか、ああでもない、こうでもないと独り言を言っていましたが、電話が来ると自分から出て、約束の時間を決め、給食を食べることにし、帰宅したのは4時過ぎです。

ここからが変化の大きな所、帰宅した私に、娘が・・・

「明日ね、職員室だけだけど、朝学校に行って顔出してくるよ」と・・・・

学校に、職員室に顔を出しただけでも出席扱いになる、これは以前からも知っていたことですが、それでも行きたくなかったことが長く続きました。

自分で決めて、自分で動き始めています。
平均的な年齢からすると、少々、大人びたものの考え方をする娘ですが、これからの彼女に凄く期待が出来ます。
見守っていて、一緒に遊んで、大喧嘩して・・・よかったなぁ・・と、いましみじみ思っています。
きっと明日は学校に行き、彼女はもう一皮、大人への脱皮をするのだと思うのです。

自分と言う気持や何かに、嫌気がさしております。

小心者で、心根が悪い。

手放すと言うことを覚えて今、随分楽になってきているはずなのに、ほんのちょっと嫌なことと言うか、
え?と思うことに出会って、手放したはずのものが帰ってきた。

たわいの無いこと・・・・
自分は自分であればいいこと・・・

そんなことのはずなのに、ココロのおくがチクッと痛い・・・・・

子供らがいたことで、少しは軽減されるけど、解放しきれない人はどれほど痛みに泣くんだろうか・・・

悲しいこと、目をつむって隠してしまいたいことが、全ての人のそういうココロのとげが、開放されて
手放してゆけますように。

週1回でもいってくれれば御の字・・とは、妙ですが、その後のことを考えると、これもいいんだかなんだか・・・


カウンセラーの先生とお会いするのはオッケーなのです。

問題は、担任の先生とクラスメイト・・・そこが大きな問題です。


んでもって、今日はしっかりと起き、(朝から工事が来るので、おきないといけなかった)学校へ行きました。


さて、帰ってきた後の彼女は、怒り心頭でしょう・・・毎度だから。


人の中には、もう一人の自分がいます。

それとともに、男性であれば女性の自分、女性であれば男性の自分がいます。
これは人間が持っている、男性性と女性性と言う話。

人はいつでも欠けた半身を求めて生きているのかも知れない。
けれど、欠けた半身を見つけるためのヒント、キーワードを自分の中の異性が持っている。

恋に迷っている人も、このキーワードが見つかったらもう少し、歩きやすいのにね。

そして最近、大好きなあの人がこちらを向いてくれない。
死んでしまったらあの人のそばにいられるでしょう?と、聞いてくる人が増えた。

でも、これだけは言っておきたい。
生きている人間のほうが強いから。
たとえあの人のそばにいられたとしても、見てもらえない、話してもらえない。
生きているあの人のほうが強く、大切な人を見つけてともに歩く、その道を阻止することは出来ないのです。

それをしてしまうなら、今、できる限りの努力をするほうがどれだけいいでしょう。

自分を見てくれる人たちを悲しませて、大好きな人の道を捻じ曲げるように、この世を去ってしまったら、
そのつけとして、生まれ変っても、何をどうしてもあの人とは二度と合えなくなる・・
そんなことも考えて欲しい。

多くを手に入れるために、手放すことを忘れないでいて欲しい。
命を捨てることは手放すのとは全く違うことなのだと知っていて欲しい。

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