ご来訪感謝です。
スピリチュアルの出来事や方法が、とても身近になってどれくらい経つでしょうか。
多くの書籍が手に入るようになり、ある面、私の学びにも厚みを加えてもらえて喜ばしいところではあります。
反面、多くの書籍が手に入る段階で、ラインというか線引きが無くなってきているようにも感じています。
先だって書籍で見たのが、「印を組んで呪を唱えて開運しよう」みたいな書籍。
「え?」
開口一番これでした。
もちろん、日々こうしたことに関して学んでいて、修行しているならともかく、それだけで開運できたら凄いわ・・・ってなったわけです。
私のお師さんは変わってましたけど、一応坊さまでした。
で、真似をして印を組んだら、怒られました(笑)
そう、悪魔が天使のふりをして人を騙すという話もあるように、雑鬼が神のふりして人の中に入ってくる。
「え?神様の手印なのにそんなことあるの?」
ありますよ?
その手印も真言も、きちんと理を理解した方々ならば、大きな力ぞえになりますが、もし、手印を組んで誰かが「私が神である」と言った時に、それが正しいのか否かわかりますか?
私は何にでも陰陽があると思っている思考パターンです。
陰を知らなくては陽を理解できませんし、逆も同じ。
こうして魔法関連の品、神関係の品を作成するにあたって、幼少より学び〜〜なんて、どっかの売り込み文句みたいなことは言いたくはありませんが、でも練習・忍耐・努力は必要な期間を過ごしてきました。
残念ながら私は「センス重視」ではありません。
以前いた弟子たち(今現在は私が自分の家の家運を背負うために解除しています)も、努力することを基本に育っています。
「努力は人を裏切らない」んです。
努力が願いを叶えるとは言ってませんよ?
努力はその願いを叶えないかもしれませんが、最終的に頑張った甲斐を与えてくれえる方向に向かいます。
だからね?
印を組んで真言唱えたら、宝くじ当たるなんて思ったらあかんのよ。