ご来訪感謝です。
その後、どうしたのだろうと気にしてくださった方がいたので、ご報告としても書き出しました。
30日・・愚弟の大学病院へ行き、様々なことを済ませてきました。
結局、ヘルパーさんは手配できず(でも無連絡ですよ?これどうなのかしら・・・)手話通訳者さんと
母と私が付き添いました。
頸椎に狭窄症がいささか見える・・確かにここに問題はありそうだ・・
仙骨にもヘルニアもあり、問題が見られないわけではない・・が、痛みの出ている箇所と問題の箇所が逆である。
頸椎に問題があるなら、このように四肢に力は出にくく痺れや痛みが足にしか出ないのも謎。
27日に撮ったMRIもピンボケなので判定しにくい・・が、問題がある可能性のある場所がある(謎な言葉だわ)
なぜ、MRIがピンボケなのかと言えば、喘息持ちなので造影剤が使えない。
本人障碍があり、アテトーぜ型なので突然動くこともありじっとしていられない。
どうにかしてハッキリと診断が出来るようにしたい・・という結果、先生曰く・・
「考えますっ」(`・ω・´)
ありがたいね・・・
今までどこの医者に行っても、案外障碍があるんだから仕方がない・・と言われてきたもんで。
産まれた時早産で小さく産まれた上、緊急時のシステムが医者になく、短時間でついたとは言え大きな病院に羊水も拭く間もなく
搬送され、結果何かに感染し熱を出し、脳性麻痺になったわけです。
当時、54年も前を考えれば、医者が悪いのかと言えるものもないし、早産だって母が好きでなったわけではなし・・・
母は「あの子はお母さんの中が好きじゃなかったんでしょうね」なんて言いますが・・
(かわりに私は母の中が好きだったのか、11ヶ月と母子手帳に書いてあった(笑)なげーよ自分)
まあ、もう一個問題があったとしたら、歳を食って私も弟も35など過ぎた頃に「お父さんRHマイナスのA型だったらしい」と、
血液検査の結果を聴いたくらいですかね( ̄∇ ̄)
血液が合わなさ過ぎて私と亡き妹以外は上手くいかなかったくさい(笑)
最初の子、亡き兄の時中毒症にもなってしまい、私は期待の子供だったらしい・・
すまんな、こんな子で(笑)
で、先生が「頑張って考えるから、君はリハビリをしなさい。動かない歩かないだと、より悪くなって寝たきりになるよ」と・・・
しかも、この状態で一人暮らしを夢見ている・・うん、お前は昔からそう・・とめどない夢物語となろうと希望を失わない、諦めない・・・
その根性、他に向かわせろよーーーーと、姉はいつも思ってるよ(笑)
で、次回は3月・・その時「私は来た方がいいですか?」と先生に投げたら、次回は検査だけなのでお姉さんはいなくて大丈夫。
でも「大事な時には来てね」(`・ω・´)とキリッとされました。
車椅子に関しても、先生は「自動車椅子を出してやってくれってかなり強く言ったんだけど・・」
(´⊙ω⊙`)え?
そんな話、ヘルパーからなんも聴いてないけど・・・
母もこうした連絡ができていない場所だったので、不信感が半端なかった・・
ヘルパーがいた時も、「30日は急なのでお願いできないかもしれませんが、打信させてください。29日の午前中に有無を教えていただければ、
助かりますので」と言ったのに、弟の方からもラインを送ったのに、正しい返事が来なかったんです。
その場で、その時のヘルパーが弟に「難しいかも」と伝えてはいたようですが、弟がラインを送って依頼した人は弟に詳細を送るべきですし、
その場にいたヘルパーは私が依頼しているのですから私にするべきなのではと思っています。
「忙しいんだから難しいよ」
とおっしゃる方もいますが、「命を預けているのです」
障碍があろうがどうしようが、私の弟で母の息子です。
どれほど腕のいい施設だと言われても、命を預けるとしたら手始めは心配が募るものです。
こうした連絡が疎かというのは、会社とした場合、トップの問題。
私も、必死には動いてはいますが、お客様に心配やお手数をかけている・・
自分をもっと律していこうと思う事ができたのは感謝ですが、だからよしとは行きません。
なぜなら、油断すると弟の命や母の命に関わるのですから。
と、まあなんか難しい話になってしまいましたが、愚弟、様子見となっております。
先生の「どこを手術したらいいか・ターゲットがわからないんだよ・・」
MRIみて、説明される前に「ピンボケやーん」ってなりおもわず「ですよね」って答えちゃった(笑)
今日は、自分の医者です。
更新手続きが入りようなので、この後役所です。・・・・
仕事したーーーーーーーい!!!