ご来訪感謝です。

タイトルを見て「え?」ってなった方がいるんじゃにかなぁって思っている今でございます。
お経・・その方を供養するものと、直訳で解釈している人が多いようなんですが、お経唱える・写経するイコール亡くなった方や
ご先祖を供養するというのではないんですわ。
お経や写経しただけで供養になるなら、これに越したことはないですよね。

お仏壇があるなら日々のご飯や神棚があるなら日々のお水など、これは確かにしていくのが大切です。
だって、仏壇は置いたんだし、神棚はお迎えしたんだものね?
あるならするべきことはしたほうがいいのは、確かなんですが・・・

「子孫としてこれほど大きな仏壇を構えさせていただいた!ご先祖様がたもさそお喜びだろう」

って、日々ほったらかしだったらまあ、意味ないよね。
毎日毎日、写経をしている、これでご先祖様方々供養になるだろう。お喜びになってくださっていることだろう。。。

これさ・・なんか上からじゃありませんか?


それが日々の生活の一部になっているなら、やってて問題があるわけではありませんが、
「ご先祖供養をしているんだ、これで私の生活も守られるだろう」とかなんとかになっちゃうと、結果、自分のためだけであって
ご先祖関係ないよね。

先の日記にも書きましたけど、供養を基本として行うのであれば、手前勝手な写経などではなく、その筋の方に聞くのが得策。
同じ場所、同じ原因で亡くなった方でも、AさんとBさんの供養は違ってくることがありますし、ご先祖様となると、自分の名字の・・・
だけとは限らないわけです。

またタイトルのように、仏壇に向け「お経」を唱えられましても、その後に、「愚痴」言うたら意味ないしね?

盆暮れ正月くらいにで良いとされていたりするんですよ。
でも、先にも言いましたが、その方が毎日の生活で馴染んでいるならそれはそれでよし。
でも、そうした人達はご先祖供養をとかではなく、日々の挨拶のようなもの。

神棚は違いますよ。
こっちは毎日、挨拶をしないとだめ。
特に会社なら、会社の主人。
仏壇ならその家の長男。

この世界、自分勝手にとはなかなか行かないものです。




☆東京・JR高田馬場から徒歩5分・セッションルームへのアクセス


☆お申し込み・お問い合わせカート「トゥリニセッテ・魔法使いの街」 


☆メールマガジンの購読はこちら



 ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆**:;;;:**:;;;:*゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆☆* ゜゚** ゜゚*゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚


ランキング参加中!クリックどーぞ^0^