ご来訪感謝です。

いや、タイトル上でその言葉は、大問題じゃね?とか思う所もありますが、
こう言った事は「好き」「嫌い」に関わらずに起こることもあります。

また、それをすることで上のクラスに上がるということも大きなものです。
霊能者(とも思ってないけど)、魔導師(まだまだだけど)、占い師(勉強は尽きません!)という状況で、
否応無くその練習に入ることはあります。

特に、神様の世界とこの世の世界に属するのであれば、「癒しでリフレッシュ」たのしーーーーと、
それだけではやっていけないのです。

魔女と言われるものも、魔導師と呼ばれるものも、修業という言葉だと「えー」ってなる事も少なくないわけですが、
せねばならないのですよ。
願いを叶えて楽しく過ごそう…とはいかないのです。

だから古代、力の強い魔導の世界に入るのを嫌がる人が多く、影に隠れて行き生きてきたのが魔導師でしたし、
忌み嫌われることも多かったわけです。



忌み嫌われるわけではありませんでしたが、その昔、外国では亡くなった人が生前に起こした忌み事を引き受けるという仕事があったそうです。
亡くなった方の胸の上に、パンとひとつまみの塩。
これを、亡くなった人から罪穢れをパンに移し、亡くなった人は塩で清められ、それを食した者に移り行くという方法です。
これで、亡くなった人は全くの清い存在となり、あの世に行っても苦行がないとされたそうですね。
(本当にそれで苦が無くなったのか、罪が無くなったのかはわかりませんけども)

このお正月から、私も仕上げの修行をしています。
最後の修行日は己の誕生日です。

現在行なっているのは、「怒らずの法」まあ、簡単にいうと己をどこまで平静に保てるかって話ですな。
こういう時は、あえて、「いらっ」とすることが起こります。
そう、まるで試されるかのごとく。

なかなかにめんどくさく(こら)しんどい流れの中ですが、その反面、見えてくるものがあります。
怒らずの法を抜け切ると、水が鏡のようになります。

眼が変わるというのは、こう言うことなのかもしれません。


とっぴんぱらりのぷぅ