ご来訪感謝です。
自分への戒めとしても、少し書いておこうと思った次第です。
別段怖いことを言おうってことではないです。
ごくごく当たり前のことです。
「やった事は必ず還る」
これは、本当に当たり前のことです。
今、貴方がよく思っていない人がいたとしましょう。
その人は、次々とあまり良くないことをしたとしましょう。
貴方も嫌な思いをしたとしましょう。
人間は上から見る行為を誰でも持っています。
だから、目の前で「よくないこと」をして居る者を家族や友達でもないとした場合、
「〇〇となれば良いのに」そう思います。
そして、間を置かずにそのようになった姿を見たいと思うものです。
私も、リアルな話で人ですから、愚弟の一件で愚弟が問題がないとはいいません。
ですが、相手のやり口などを見ると、やはりネガティブな攻撃の言葉や感情は出てくるものです。
ですが、どれほどロクでもないことをしていても反省もしないし、痛い目も見ない・・
バチが当たらない・・
神様はなんと薄情なのか。
こんなに、困っている人がいるのに見捨てるなんて・・
そう思うこともあります。
これは、親子でも兄弟でも友達でも・・・どこかに縁が生じたわけです。
良い縁か悪い縁かは、今の関係で出来上がりますが、それでも腹が立ったその事は悪い縁だったのかもしれないですね。
神様は、基本手出しはあまりしません。
こう言った、不届きな輩がいたとしても、天罰が落ちるのは神様(本人)に無礼があった時です。
貴方が神様だった場合、神社にお参りされて、「あの人がっ」と言って、「ハイそうですか!」ってバチ当てます?
警察や刑事課の方も調べてその事について見て行きますよね。
こうした問題が起きた時、神様は見ておいでになります。
そして、悪さと思われる事が明確にわかったら、それでも猶予を与えます。
小さな困難を目の前にして、その方が自分を振り返ったなら、小さな災厄で済むでしょう。
あの、大きな問題を起こした宗教団体のトップも、そうだったのだと思います。
けれど、気がつかない・・
わかろうとしない・・
考えない・・
人のせいにする・・・
命を粗末にする・・・
たとえ、苦しい幼少期を得たとしても、それは関係ないのです。
だからこそ、人に対して精一杯である事が求められ・・間違った時に人間の裁判で罪を理解しても、懲りない人もいます。
これもまた、「カルマ・・行動の結果」なんですよ。
およそ、かの宗教団体の彼は、生まれ変わる事はなくあるべき場所で未来永劫反省の流れになる事でしょう。
いいえ、もしかすると魂を痛みとともに削られてしまうかもしれません。
かの、ルシファーが永遠の痛みを伴って地獄の最下層でユダを噛んでいるかのように・・
篩やその他の出来事で、悪い事が起きている場合、「気付きの瞬間」なのです。
貴方がもし、「ん?」「おや?」と思えたなら、それは軌道変更の大きなチャンスです。
今までの自分をしっかり見てくださいね。
そして、神様は軌道修正した人に対しては、小さな痛みだけをくださいます。
反省のために・・・
でも、気がつかない人はとことんマイナスの貯金をします。
それが将来・・どう出るかはわかりません。
そして、その人に対して「落ちれば良いのに」とたくさん思うのもやめておきましょう。
似た者同士になってしまう。
それに、「腹を立てているほど、私達は暇ではないのですよ」
「あ〜あ、そうですか」
その程度で、自分を先へと進ませましょう。
頑張る必要はあります。
でも、頑張りすぎて無理をする必要はありません。
踏ん張る必要はあります。
でも、苦しかったら助けを呼びましょう。
我慢する必要はあります。
でも、あまりに酷かったら「か・え・り・う・ち♡」
人生という意味で堪える必要はあります。
でも、死なない程度に頑張る必要はありません。
痛かったら休んで良いんです。
泣いて良いんです。
擦り傷だって化膿したら死んじゃうかもしれないんだよ?
貴方の人生は貴方のものです。
くだらない言葉を吐く人たちに付き合う必要はないんですよ。
さあ・・・自分をしっかり見つめなおして、先へ先へと進みましょう。
時間は有限なのですから。
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