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言い方はなんではあるが、極端な形になる親の愛情。
もちろん、虐待などのことがあれば、それは愛とは言わないし、子供を盾にとって自分を
表現していくというものもあり、一概に「それでも親はあなたを愛している」なんてことは言いきれない。

とはいえ、親とても子供を育てるのも下手で、うまく育てない親もあることだ。
また、年を取ってゆき、子供よりも子供になるなんてこともある。

しかし・・・
一人前に大人になって、ある一定の距離感を保つことができ、自分も親になったのであれば
「少しくらいは考える」余裕を持った方がいいのではないだろうか。

もちろん、いまこの流行り病の大騒ぎの中で「ゆとりをもて」というのは無理な話だろうけど、
家で少しお茶を飲める時間があるならば、自分の立ち位置を考えるという時間をとるのはあってもいいのかもしれない。

こういった個人個人、誰と比べることのできない内容は、「こうである」とは断言できないことだから「かもしれない」という曖昧な言葉を使って書いていく。

親がそうであったから自分がこうなった・・・というのも、理解できないわけではない。
あくまでも「虐待や常識から遠ざかった親の場合」は、「そうだとおもう。」ここでは、
親の考え方と自分が違っていた程度のところの話としよう。


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親がこうだったから自分はこうなんだ・・・という考え方は「自分が親になったらこだわっている場合ではない」とおもう。
なぜならこだわってしまえば、親と同じ子供の育て方をする可能性が高いからだ。
それはしみついてしまった癖のようなものなので、気が付かないと同じ線路を走ってしまう。

また、子供を育てる年齢になっているのであれば、一応は「成人」だろう。
親元から離れ、社会に出て、そして今に至るのだと思う。
ならば、その間に育っていなかったのは、親のせいではなく自分自身の責任だろうよ。

幼少期から親の少し曲がった性格のせいで(あくまでも考え方の違う親子の事と思ってください)自分はこうなんだと子供を育てれば、己を育てた間違った意識をもって再び自分を育てているようなものになる。

実に難しい話だ。
仏教の何だったかに、親子のことを唱えるものがあったかと思う。
ちょっと度忘れだが・・何があっても親があってこそだ・・という内容ではあるが、1つ1つこまかい点で、考え方を治しなさいよっていうっもの・・・これはこれでいいと思う。
でも、親がどうこうという事で「愛することができない」「あんな親など」という考え方も十分あっていいと思う。

親子といえど、1人の人間同士ですからね。


どのような状況、どのような環境・・色々あるけど、己を見直して己と親との関係を冷静に判断するのは大事なことではあるまいか。
もし、それでも親の加護を1つでも貰っているなら、愛されているのだと自覚を持つことが大事だと思う。
むろん、あくまでも考え方の違い程度のところにある親子関係だと思ってほしい。