薔薇と魔法と言魂と~トゥリニセッテ

占い師・マーヤラジャが贈る、不思議と心・自由のブログ

カテゴリ: L魔術師の扉

ご来訪感謝です。

魔法の概念として、意外と「楽になるための」という枕詞がつきそうな感じがあるよね。

ところがどっこい、魔法使いになるための修練は結構ドMになる必要性があったりする。


よく、「私が魔法使いに・・・向いているでしょうか」と聞かれることがある。

魔法使いに適正という意味では、魔力に嫌われていない限り適正は誰にでもあると考えていい。

無論、方向性ってことで「私は攻撃魔法が得意かと思ってたんですが、癒しなんですね!」なんてことはある。


適性があるかないか・・・ということよりは「なりたいかどうか」を重視した方がいい。

魔法使いに「習ったらすぐなれる」ということは「ないと持った方がいい」


例えば、占い師になる。

タロットカードを買った。

今日から私は占い師!というのは、極端だがないわけじゃない。


同じように、魔術を習った。

今日から魔法使い・・といって仕舞えば、まあそれもそれだ。


でも、どちらもそこから「経験値」を増やさねばならないし、「師」と「教師」を得ているのであれば、

時間がかかる場合もある。

魔力は付け焼き刃では鈍でしかない。


その教えを与えているものが、時間をかけねばならんと感じて間を置くこともある。

例え話が続くけど、私の場合「10年」はかかった。

しかも、それは初歩の初歩。


今時で言うなら、そんなに時間かけてらんないわ・・ってなるのかもしれないけど、この10年の初歩の学びのおかげで私は人間として生きて行けるほどになった。

そうでなければ、下手したらどこかに入院していたかもしれない。(笑)

他者と違うと言うのは時として脅威だからね。


特に、身体的にトラブルを抱えている場合には、時間をかけた方がいい。

体がもたないから・・が第一の理由。


せっかく学んだのに、使える体力まで削いでしまったのでは仕事にもならないから。

まず、1歩1歩が重要な点だと書いておこうかな。



ご来訪感謝です。

さっきの続き。


呪言と呼ばれる術式の発言する言葉は、これもまた多岐に渡るのね。

いい言葉を発する、そして神様からの祝福を得るという場合には、祝詞などで対処できるし、

お寺さん行ってお言葉をもらうなんていうこともある。


でも、こういったマイナスの言葉を操る・・・狗巻棘くんの場合は「その言葉と音域を重ねて相手に束縛をかける」というもの。

故に、彼の場合は日頃は「問題のない言葉を使う」ことでなんとかコミュニケーションを図ろうとしている。


まあ、この場合だと周りの術者が「わかる」人たちだったから通用するのだと思うけども。


しかし、リアルな世界で「言葉」ではなく「喉の作り、声の波長」が特殊なものというのがいる訳です。

それを見出して、術師に育てるなんてことは昔はよくあった・・

イチコと呼ばれたりする、子供の霊能者などの場合「かわいそう」と思われることも少なくないし、実際そうである場合もある。


でも、時代が時代で子供を養えない・・とした時に、子を売るシステムとするとご飯が食べられて眠る場所があることをよしとして親が子を売ることもあった。

死なせるよりは・という、ある意味では親心なのかもしれない。


こうした子供たちは感受性が強いので育てることで、能力が出た子もいる。

出ない子は生き方を学んでイチコのできない歳になった時、普通に暮らせる力を持ったともされていたらしい。


さて、この言葉とその波長で相手を束縛したり呪いをかけるなどは、無論古くからあるのだけど、

それを習得する子供たちはほとんど喋らない。

狗巻棘くんのお話の中でも、余分なことを喋らない理由が「相手に害をなす」のを知っていたから。

これが相手に害をなすだけならまだいいけど、下手すると自分にもろに返ってくる・・これが面倒。


なので、実際に生きていた呪言師もほとんど喋らないと言われてたね。


さらに、同じように言葉を書く・・力を持っている人たちは文字を動かすことができるとされた・・

この動かすは、私が知っている限りでは実際に文字が動き出すのではないけど、似たようなイメージかもしれない。


この文字もまた組み合わせがあるので、ある程度覚えるのがめんどくさ・・・ゲフォ


「愛」という文字があって「得」すると、愛を得る流れを生み出す。

「愛」を「受」では偏りが出る。

「愛」を「放」のでは行き先がない。


と、愛という文字を1つ挙げただけでもこういった様子で違ってきたりするわけだ。


「金」を「得」とは一般的な流れを活性化する程度。

「金」を「持」のも一般的な貯金が出きる・・かもしれない。


こんな風に、文字を書く方の呪言師も、覚えることが少なくないのでしんどいわけだ。


ご来訪感謝です。


言葉という意味で、その昔から呪術は行われてきていたわけで。

最近では、狗巻棘氏の使う「呪言」が人気だったりなど(狗巻棘くんが人気なだけで、呪言が人気な訳ではないが・・・


さて、呪言・・彼が使っている「言葉」によって相手の行動を制御したりなどする、一種の呪い言葉・・は、かなり昔から使われていたりするんだね。

ある意味、「言霊信仰」というもので、「言」=「事」として考えてる。

まあ、今の時代でも、「マイナスに考えてないで、いい方向に考えなよ」とか「いい言葉を続けていると、そうなるんだよ」なんてのも、そういう発端ではあるよなぁ。


でも、これはもちろん呪術全般に言えるし、西洋魔法も同じなんだけど「そこに生じるエネルギーは白とか黒とかない」んですわ。


日本の言葉に関する神様だとすると「一言主」の命がいるね。

葛城山の神様として存在している。


「吾は悪事も一言、善事も一言言い放つ神」っていうくらいですから、「わかってらっしゃる」と怒られそうなノリでヘドバンする(笑)


んで、この言葉・・言葉の呪術は2つの形がある。

先の、いい意味、悪い意味、と分けるのじゃなくて、「放つ」と「刻む」という意味かな。


放つのは「その事を音にして」行うもので、刻むのは「その事を文字にして」というものです。

平均、どちらも体を壊す可能性と短命であるという意味を持っていたりする。


この「刻む」方は、私が学んだ「呪言」の方向・・なぜか、「滑舌が悪くて適してなかったんだよ(笑)」のね。


で、それを形にしてあるのが「言縁占符」でもある。


これらのことを教えて行きたいとは思ってるんですけど、今もう毎日がしんどくて、しばらく先になります。

ご来訪感謝です。

本日、治療という意味では最後の歯医者でした・・・

5年かかりました・・
途中、子供の事があったり色んなことがあって、途中停止して
やっとここにきて、ラストです。

残りの2回はクリーニングです。

歯の半分が人工になったかな(笑)
色んなことがあって、自分の事よりも家族の事、友の事・・と。

やっと自分のことになって、少しずつ自分に時間が戻ってきています。

現在は、今までの物を整えるべく作業しています。
今年もあと少しという印象で、来年に突入してしまう方々もいますが、
私に出来るのは頑張ること。

頑張ってゆきたいと思っております。



IMG_1493

着々と仕上がっているギベディア・ペンジュラムです。




ご来訪感謝です。

朝起きて、お品物を書いて、店においては品を作ってと・・日々籠っているかのような生活です。

占いでもなんでもそうですが、下積み、忍耐は今もって必要だと私は思っています。
たとえ、センスと呼ばれるものを持っていたとしても、それをなくして身につくことって難しいんじゃないかなって。

今の時代では、書籍というだけではなくネット上で翻訳も進み海外の物も読むことが出来ます。
ですが、読んだだけで出来ようはずもなく。

占いなどは一時「育児の片手間でやってみませんか?」なんて言う売り込みが増え、心を病んでしまう人が続出しました。

以前勤めていた店舗にアルバイトの募集をする会社様がお越しになって「引きこもっている人に占いの仕事を」という売り込みがあって、同席した私は「それは無理です」ときっぱりと言った覚えが有ります。
対人関係をある程度こなしていないと、人を見ることはかなり難しいです。
心理学の本を3冊ほど読んで、店舗に出た店長を知っています。

たまたま、その人は業界でも仕事をしていたことがあってコミュニケーションはうまい方です。
ゆえに、お客様がどう感じたかは知りませんが「楽勝だよ」と戻ってきたものです。
むろん、何の占い道具を持つこともなく・・・・そして、数回目に胃炎を起こしてお客様にクレームを受けていたのを覚えています。

今では「学校を卒業して店舗に出れたら占い師」みたいな世の中ですが、そこがスタートであり、やっと卵からヒナがかえった程度の位置です。
若くして学ぶことができる良い時代にはなったものですが、厚みがない。

「いまどきでいいじゃん」

確かにそれもあります。
誰に対しても、扉が開いているのですから。
ですが、生まれては消えるそんな占い師も多くなりました。

さまざましっかり考えて、学び動いていただきたいなと思う処です。



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