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タイトルだけ読みますと、なに、運動でも?と、思われそうですね。



うん、日々、腹筋はこなしてますが、キャッチボールは、明日立てなくなりそうです(笑)



そーでなくてね、言葉のキャッチボール。



私が日記を書く場合、どう書くか…と、むろん考えるわけですが、何分、不特定多数宛てなので、どう受け止められるかは予想外が生じます。



なんで、考えすぎちゃうと何も言えなくなるので、自分らしく書きます。



私はボールを一個投げたつもりだけど、電子の海でバラっとはじけてボールは増えて、さらにいろんな人が受け止めるから、ちゃんと取ってくれる人、落としちゃう人、受け止める気のない人、当たっちゃった人など出てきます。



下手にぶつかっちゃった場合、そんなつもりはなかった結果になる場合があるんですが・・・



だけど、一対一のキャッチボールの場合は、投げ方も気にしないといけませんよね。



これがコミュニケーション。



一対一での会話の場合、私はこうだから…は、受け入れ拒否に聞こえる場合があったりもします。

知らない・わかんない…の、後説ない、言いっ放しな状態とかね。


『言い方』



私は旦那さんにも子供らにも、母にさえこれを言います。

私も気をつけるよう常に気をつけているんですが、まだまだ。



言い方は、良い方、良い形につながり、パズルのピースです。



無理矢理はめ込もうとしてもはまりません。むしろ、こじればかりできてしまいます。



たった一つの言葉でも、形がずれたら収まらないんですね。



『なんでわかってくれないんだろう』



形が違っているんです。

スピリチュアルに生きるなら、臨機応変さを持つ事が大切。



わかってくれないと嘆くより、方法を変えるべき。キャッチボールは投げるだけじゃダメでしょ?



受け止めたあとは投げないといけないんです。

私はこうだから、こうなげる…理解し会った仲なら兎も角、パズルのピースが違うってわかっているのに、無理矢理おしこむとかね。

言葉…ことば…は、言の葉の意味を持ちますが、文献読んでるとそれだけにとどまりません。

言葉を平仮名にすると、ことば。
変え文字を当てはめれば、事場にもなります。

つまりは、使い方、態度、心根なども含まれて、気と言う名の振動数が生まれます。

それでも合わない時は合わないんだけど、やっぱりついつい言ってしまいますねぇ…

『人の土俵で偉そうに暴れるんじゃない』

私のお弟子さんにはよくいいます。
鷹陽者な態度は、結果、理解はもたらしません。


そんなお話です。

言葉…口から出るだけの事じゃないのですよ。