今習っている、臼井レイキに、この「安心立命」という言葉が出てきます。

レイキの創始者たる臼井氏が心しておられた言葉です。


いろんな仕事の経験をし、「人生の目的は何か?」と、命題を持ち研究されたといいます。

そして、「人生の究極の目的は、安心立命を得ることにある」という、結論に達したそうです。


安心立命?


天命(人の力ではどうにもならない運命)を知って心を安んじ、物事にこだわらないこと

「人間として精一杯努力することは必要であるけれども、その後の人の力でどうにもならないことについては天に任せて、

一切を思い煩うことのない安らかな心境を獲得する」と言うことのようです。


先だってまで、今サードを受講中なのですが、これについては「?」と思っていました。

ある面、気が激しく、どうにもならないことなんてあるもんかいヾ(。`Д´。)と、思っていたからですね。


ですが、今回、親父が胃癌になって、沢山の気付きに出会いました。

子供たちへの思い、母への思い、弟への思い、義父母への考え、夫への気持ち、友達や仕事への思案・・・・

そして、親父への想い。


特に親父に関してのことなどは、確かに、努力して、回復への道をどんどん進んだとしても、もし、再発ということになったのなら

そして、それが酷かったら、後は天に任せるしかないですよね。

人の命は、人間の力でどうにかなるものではないと、想うのです。


弟の障害についても、当時は医療の進歩もまだまだで、未熟児などどちらかといえば、少ないほうで。

そのなかで、弟の生きたいという命の叫び、母の生かしてやりたいという想い、そして、できるなら様々動いてほしいという

こては人間の努力の側面です。

そして弟は、歩くことも物を見ることも、出来ないと医者に言われていたのに、たって歩き、物を自由に見、仕事も出来るほどに

なったわけです。

これは、人間の努力ですよね。


その後、行く年月もその不自由な体を持って生きてきて、無理が生じたのでしょう、ヘルニアになって、今は半分、寝たきりに

近い状態です。

ここには、ある種のどうしようもない、天命はあります。

ですが、リハビリを行う価値はあるというのに、弟はそれをしません。これは努力がないってことですよね。


友達に関してもそうでした。

遠い場所に住んでいる友人、家庭環境が悪く、子供たちもあれか買っている状態。

昨年、手紙をもらったときに、返事が書けず、悩んでいました。

肯定も否定も出来なくて、どうしたものかと。今年もきました・・・・最悪の状態で。

でも、その運命に忍耐を持って立ち向かっているのかも知れません。


私は意外と・・・いえ、天然なほど、すっとぼけた人間です。

ちゃんとした一般社会人の礼儀など、欠けている場所がとても多くあります。

(会社でも言われるんだよね^^;;;)


なので、礼儀を重んじる義父母のところでは、うまくいかない^^;;;

私も、いろんなことを精一杯努力して、この臼井氏の言う「安心立命」志してみたいなぁ。